第7話迷いながらたどり着いた、自分探しの答え。

ワクワクワークは、いつからでも私らしく生きること・働くことを全力でサポートする環境が整っており、年齢や経歴問わずさまざまな方が活躍中です。実際に料理の資格をもっていなかった方や60代70代の方でも、これまでの人生経験を活かしてセカンドキャリア、サードキャリアで生き生きと働いています。そこで、この連載では“ワクワクワークを彩る人たちの履歴書”と題して、教室にたずさわる方たちがどんな経緯でここにたどり着いたのか、人生のストーリーをご紹介していきます。
第7話は、「オーガニック滋養ごはん認定講師」をはじめとした6つの認定講師養成講座を修了し、ワクワクワークはもちろん、ご自宅でもレッスンを開くなど、多岐に渡り活躍中の大西くみさん(56歳)です。前編では、華のOL生活を送りながらも自分らしさを見失い、紆余曲折を経て豆料理研究家としてスタートするまでの遍歴をたどります。

憧れの東京OL生活の裏で感じた閉塞感
安定した企業に就職し結婚もして、いわゆる“普通のしあわせ”を手に入れたはずなのに、どこか他人の人生を歩んでいるような、満たされていないような気持ちになる。そんな経験ありませんか? 今回ご紹介するくみさんは、まさにそのひとり。もがきながらも自分の内側に潜んでいた生きがいを見つけ、いまは自分の人生を心から楽しんでいます。
出身は福島県。自然に囲まれた場所で3人きょうだいの末っ子として生まれました。
「兄と姉のふたりがやることを陰で見ているような、どちらかというと引っ込み思案で、冷めたところがあるような子どもでした。スヌーピーが大好きだったのですが、そのぬいぐるみをずっと抱いていて。ひとつのことへの執着心が強かったのかもしれません」
そんなくみさんを突然の不幸がおそいます。高校1年生のときに父が病気で他界します。
「急だったのでショックでした。父の死を機に、母がすでに学業で上京していた兄と姉がいる東京に行くことになって、わたしは郡山の叔母の家で下宿をして高校に通いました。所属していたコーラス部が強豪校だったので部活に打ち込み、勉強もがんばっていたので学生生活は充実していましたが、ホームシックになることもあり、東京への憧れは強かったです」

高校卒業後は、念願だった東京の短大へ進学。学業にサークル活動にあっという間の2年を過ごします。そして短大を卒業するころは、バブル景気の真っ只中。時代の波に乗るように丸の内の大手企業に就職し、華のOL生活をスタートさせます。
「一般企業の総務に配属されたのですが受付業務も兼任していて、来客者を打ち合わせスペースまで案内する仕事などをしていました。夜はおいしいお店に連れて行ってもらったり、自分が憧れていたOL生活というのをひと通り経験させてもらって、そのときはそれなりに楽しんでいたのですが、一方でどこか自分探しをしているような。生きがいや充足感、使命感のようなものを求めていたのかもしれません」

自分探しで気づいた自分の内側を見つめる大切さ
20歳で就職し、人がうらやむような華やかなOL生活を送りつつも、どこかもやもやした気持ちのまま、23歳のときに結婚。しばらくして会社を辞めようかと考えていたちょうどそのころ、夫の転勤が決まり退職します。
「最初の3年は札幌にいたのですが、また東京に戻って来ました。すぐに子どもができなかったので2人の生活が長かったのですが、何かのきっかけで夫に泣きながら“私は自分を生きていない!”と訴えたことがあって。とにかく何かもがいている感覚がありました」
自分探しのために自治体が主催する講座やセミナーなど、さまざまな学びの場に参加。当時流行していた女性学のセミナーにも積極的に出かけていきました。
そんな自分探しに迷走している最中、子宝に恵まれます。37歳で長男を出産、子育てにも奮闘していきます。

「ようやく授かった子どもだったのですが、なかなか思い通りにいかなくて。引き続きセミナーなどに参加していたのですが、その中のひとつで自分を観察し、自分の人生を創作するというようなプログラムに出会ったんです。
それまでわたしはずっと自分の“外”に何かを探していたのですが、それは自分の“内”にあるものだとそこで気づいて。じつは幼い頃からずっと好きだったのが料理。料理を極めていくのもいいのかなと漠然と思うようになりました」
卒業したら就職、就職したら結婚、結婚したら子どもというように、もしかしたらわたしたちは無意識のうちに“普通のしあわせ”を選択し、自分はどうしたいかという気持ちを置き去りにしているのかもしれません。でも、普通とはじつは多数派というだけ。しあわせは多くの他者の基準で決まるものではなく、自分自身の心が決めるものです。

妊娠出産をきっかけに自然派・豆料理研究家の道へ
自分探しの旅が終点へと向かっていくのと同じようなタイミングでもうひとつ、料理でやっていこうという思いを後押しする出会いに恵まれます。
「年齢的に体がキツくて誰かに頼りたかったことや、不妊治療で授かった子どもだったので逆に自然への憧れが強くなっていたこともあって、当時住んでいた調布市にある『まめちょ』という自然派育児サークルに入りました。週に2〜3回、かに山という里山で駆けずり回って遊ばせたりしていたのですが、自分が田舎育ちというのもあって伸び伸び育てたいという想いもあったので、それがとても楽しくて。
そこで月に1度、手作りの料理を持ち寄ってお花見などの季節行事をおこなっていたのですが、わたしが持っていった料理の評判がとてもよかったんです。そこでセミナーで漠然と思った“料理を生きがいにしていく”というのが結びついた感覚がしました」

さらに、たんに料理というだけでなく、”自分らしい料理”を表現するものも見つけます。
「まめちょというサークルの名前もあって、自然派の方が多かったのでよく豆料理を入れていたのですが、“豆料理に特化してやっていったら面白いんじゃないか”とひらめいたんです。今まで自分が作ってきた豆料理のレシピをどんどん集めて自称・豆料理研究家と名乗り、お友だちにお弁当を作ってケータリングしたり、自宅で料理教室を開いたりと、徐々に活動をしていくようになりました」

自分の心と向き合ったことで見つけた生きがいとなる料理と、仲間と楽しい時間を過ごしていく中で見つけた豆料理によって、くみさんの自分らしい人生がスタートします。
そんな矢先、再び夫の転勤によって今度は仙台に行くことになります。後編となる第8話では、自然食をさらに探求するきっかけとなった仙台での出会いや、厳格な料理教室に通ったうえでさらにワクワクワークで学ぶことを決めた理由などについてご紹介します。