ワクワクを彩る人の履歴書

ワクワクワークは、いつからでも私らしく生きること・働くことを全力でサポートする環境が整っており、年齢や経歴問わずさまざまな方が活躍中です。
実際に料理の資格をもっていなかった方や60代70代の方でも、これまでの人生経験を活かしてセカンドキャリア、サードキャリアで生き生きと働いています。
そこで、この連載では“ワクワクワークを彩る人たちの履歴書”と題して、教室にたずさわる方たちがどんな経緯でここにたどり着いたのか、人生のストーリーをご紹介していきます。

第9話結婚より仕事ひとつに決めて突き進む。認定講師井口香織さん【前編】

ワクワクワークは、いつからでも私らしく生きること・働くことを全力でサポートする環境が整っており、年齢や経歴問わずさまざまな方が活躍中です。実際に料理の資格をもっていなかった方や60代70代の方でも、これまでの人生経験を活かしてセカンドキャリア、サードキャリアで生き生きと働いています。そこで、この連載では“ワクワクワークを彩る人たちの履歴書”と題して、教室にたずさわる方たちがどんな経緯でここにたどり着いたのか、人生のストーリーをご紹介していきます。

第9話は、「おにぎりワークショップ」認定講師として毎月おにぎりキャラバンの講師を担当している井口 香織さん(50歳)です。月曜から金曜まで大阪の税理士事務所でフルタイムで働き、土曜はおにぎり屋さん「おにぎりと味噌汁時々。。。」を運営、昨年9月からはお米屋さんもはじめたという、とにかくパワフルな香織さん。しかし驚くことに、45歳までは料理らしい料理はいっさいしたことがなかったという、ワクワクワークでは珍しい経歴の持ち主なんです。

前編では、バイタリティ溢れる香織さんの源となっているものは何なのか、幼少期から社会人生活をとおして探っていきます。

自然の中で鍛えられた強い心と丈夫な体

「まったく人見知りしないので、ガシガシ聞いてくれて大丈夫です!」という香織さんの第一声でスタートした今回のインタビュー。連載を重ねていくうちに、ワクワクワークはみなさん“エネルギッシュで前向き”という共通項があることに気づきましたが、香織さんはそれをひときわ強く感じる方です。そして、大阪生まれの大阪育ちがそうさせるのか、いっしょにいるだけで何か面白いことがはじまりそうというワクワク感をもたらしてくれます。

大阪府大東市、生駒山の麓で生まれ育った香織さん。幼い頃は毎週末、体育会系の父に山登りに連れて行かれたのだとか。

「お人形で遊ぶとかおままごとをするといった記憶はなくて。ハイキングというと聞こえはいいですが、木にロープを引っ掛けて道なき道を行くような割とハードな山登りを本当に毎週末、明けても暮れても行っていました。そこで生き抜く術が鍛えられましたね。家でも腹筋と懸垂は日課になっていました。足もすこぶる速くて、ひとつ下の弟がいるのですが、町内では足の速いきょうだいで有名でした。父はリレーの選手として活躍している姿が誇りだったみたいです」

明けても暮れても山登りに連れて行かれていた頃。

甲子園の高校野球に魅了された学生時代

学生時代はその身体能力の高さを活かして運動部で活躍したのかと思いきや、香織さんを熱中させたのは “甲子園”でした。

「ちょうど小学生の頃、PL学園のKKコンビ(桑田真澄、清原和博)がわーっと世間の注目を集めて。同級生が吉川晃司とかにキャーキャーいっていた時代に、私は野球に目覚めました。子どもだったのでずっと“私も甲子園に出るんだ!”と思っていたのですが、そのうち女の子は甲子園に出られないと知って、人生1度目の挫折。

それでも“チアリーダーとしてだったら出られるかもしれない!”と、小学校ではバトントワリングクラブに入ったのですが、中学校にはなくて。それでも諦めきれなくて吹奏楽部に入ったのですが、出場校に入らないと甲子園には行けないということがわかってきて。甲子園の常連校は私立が多かったのでうちでは無理だと、そこでまた挫折。それからは野球を見ることに専念しました」

これと決めたら一直線。“竹を割ったような性格”という言葉がぴったり当てはまるように、挫折ですらスパッと切り替え、次の目的を定めて真っ直ぐに進んでいく姿は、清々しさすら覚えます。その後は甲子園に通い詰めるために、アルバイトに明け暮れていきます。

「高校野球が開催している時期は甲子園で売り子をやっていました。当時の大阪の出場校の校歌はいまでも歌えるほど野球に対する想いはすごく強くて、いまもずっと好きです。結局、何事もそうなのですが、情熱的に何かに打ち込んでいる人が好きなんですよね。

でも、父からは“なんで中学のとき陸上部に入らなかったんや!”って死ぬ間際までいわれました。有森裕子さんや高橋直子さんがメダルを取ったときには“本当はうちの娘もあそこにいるはずだったのに”って(笑)」

駅伝大会。すこぶる足が早かったので毎年ごぼう抜きです。

天職だったものづくりの現場で仕事に打ち込む

父の期待をよそに、自分の好きという気持ちに素直にどんどん突き進んでいく香織さん。高校卒業後は、近くのプラスチック製造会社に就職します。

「高校が自転車通学だったので電車の定期が持ってみたくて、“自宅から2〜3駅で通えて残業がなくて一般事務”という感じで、仕事内容はとくに気にせず選びました。でも入社したら受付なのに受付にいないという(笑)。じっとしていられない子だったので、近くにあった工場によく出入りしていたのですが、モノができていく過程がすごく面白くて、当時の社長のすすめもあって営業事務に変わりました。

担当していた部品メーカーの業績が伸びていた時期だったので、仕事はめちゃくちゃ忙しかったのですが、それに比例して自分の会社の売上もどんどん伸びていくので、楽しくなっていって。プラスチック製造業にどっぷりハマっていきました」

そこからは、これと決めたら迷いなく挑戦していく行動力や幼い頃から養ってきたタフな心身を活かし、とことん仕事に打ち込んでいきます。

「ちょうど携帯電話がブームでみんなが持つようになった頃で、店頭に置いてあった携帯電話の見本品を製造する仕事を受けるようになったのですが、注文がひっきりなしにきて、工場は休みなく稼働していました。

その頃には営業事務だけではもの足りなくなり営業になっていたのですが、当時は新製品の時期になると会社に泊まり込むことも多くなって。車で出社して、帰る時間がもったいないからと仕事が終わったら車で寝て、翌朝起きたらスーパー銭湯にいって、また会社に行くという生活が1〜2か月つづいたこともあります。でも、“世の中の携帯業界を動かしているのは私だ!”くらい思ってやっていたし、たくさんの人が関わっていたのですごくやりがいもあったし、何より楽しかったからまったく苦ではなかったんです」

今でこそ長時間労働に対する規制は厳しくなりましたが、当時は残業が当たり前だった時代。まともな休みは年に5日あるかどうかというほど多忙だったそうですが、“生まれ変わってもまた同じプラスチック製造業をやりたい!”というほど、天職だと感じていたのだとか。しかし、その状況に一石を投じたのが娘の帰りを待つ、母でした。

20歳の頃には決めていた結婚しないという選択

「車通勤をしていたのですが、母に“あなたが家を出てから救急車が通ると生きた心地がしない。帰ってくるまで心配でたまらなかった”といわれたときに、これじゃあかんと転職を決意しました。辞める2-3年前、私が29歳のときに父が病気で亡くなったのですが、弟もすでに家を出ていたので、すごく不安だったみたいです。以前から結婚しない宣言はしていたのですが、適齢期も過ぎて本当にこのままひとりで生きていくのかという心配もあったのだと思います」

いくら好きな仕事に就いたとしても、結婚や出産によってキャリアを中断したり諦めたりということが、残念ながら女性を悩ませる要因になることがあるのは否めません。香織さんはそうならないために、早くから結婚はしないと決めていたのだとか。

「変わった父で、幼稚園の頃から“お前がしっかり弟を守らなあかんねんで”といわれ続けていました。“もし父さんと母さんが同時に事故に遭ったら、家紋は○○で宗派は××だからそれで葬式ができるから!”という感じだったので、この家は私が守っていかなきゃ!と。

あとは、仕事が好きだったので。結婚すると子どもを産んでどちらか選ばなくちゃいけない。私自身がひとつのことに集中しちゃう性格なので、どちらか選べなくなるくらいだったら初めから結婚しないと20歳の頃には決めていました。家庭を選んで“もしあのときもっと仕事をしていたら……”とならない人生を歩むと決めていたので、お付き合いしている人がいても結婚する気はまったくなかったです」

ずっと働き続けるために自分に合う会社を模索

こうして14年勤めていたプラスチック製造会社を辞め、新たな道を歩んでいくことになった香織さん。次は何をすべきか模索していきます。

「製造業しかしてこなかったので、世の中にどんな仕事があるかもわからない。少しいろいろやってみて自分に向いているものが何か見極めたいという思いがありました。まずは眼鏡屋さんで働き、次に弁護士事務所で秘書をして、その後に司法書士事務所の事務をして、税理士事務所にたどり着きました」

結婚はしないと決めていたため、一生自分で働いて食べていける何かを身につける必要があると考え、士業に関心が向いていったのだとか。

「弁護士や司法書士は一案件完結型が多く、税理士は顧問契約が多いので、営業をしなくても毎月決まったお金が入ってくる。生きていくためにお金は絶対に必要ですし、自分自身の勉強にもなるなと、今もそこで事務を続けています」

そうして自分にフィットする仕事を見つけていった香織さん。ところで、料理教室のインタビューにも関わらずここまで料理に関する話題がまったく出てきていないことにお気づきでしょうか。現在は結婚をしておにぎり屋さんを営んでいる香織さんですが、その後どのようなきっかけで食への興味やワクワクワークとの出会いがあるのでしょうか。後編に続きます。


Profile
続きはこちら
  1. 第10話人生はタイミング45歳で食に目覚める。認定講師井口香織さん【後編】

ページトップ