第1話直感にしたがって軽やかに進む。
ワクワクワークは料理を教える教室ではありません。というと、ちょっと大げさに聞こえるかも。でも、料理だけでないのは事実。伝えているのは、毎日のごはんで心身ともに健康になるためのレシピ。料理にワークや対話を組み合わせた多彩なプログラムで、食をつうじて私らしくしあわせに生きるためのあれこれを、いっしょに見つけていきます。
そんな、ちょっと変わった料理教室だからこそ、講師やスタッフのバックグラウンドもさまざま。経歴や年齢問わず、それぞれの個性を活かして活躍中です。そこで、この連載ではワクワクワークにたずさわる人たちがどんな経緯でここにたどり着いたのか、人生のストーリーをのぞいていきます。
第1話は、ワクワクワークの生みの親で、代表 菅野のなさんの実母でもある松波苗美さん。ワクワクワークは16年前、苗美さんが55歳のときにスタートしました。この前編では、時代に先駆けて有機野菜を生活に取り入れていた、そのルーツを探ります。
ポジティブオーラで教室を支える大黒柱
「自分の昔のことを語るなんて初めてで緊張するわ」
そういいながら、鎌倉本校に射しこんでくる日差しに負けないくらい、キラキラとした笑顔を見せる苗美さん。いつもエネルギッシュでポジティブなオーラをまとっている苗美さんですが、意外にもこれまで公の場でみずからの多くを語ったことはありません。
いつもみんなを見守りながら自分の役割をさっと把握し、必要なときにはパッと手を差し伸べる、まさに影の大黒柱のような存在です。苗美さんがもたらす安心感と心地よい緊張感のある清々しい空気が、ワクワクワークのベースとなる雰囲気をつくりだしているといってもいいかもしれません。
「この機会に人生を振り返ってみたら、導かれるというのか、この道が決まっていたのかもしれないと思えるくらい、気づいたらここまで来ていたという感覚なのよね」
その言葉どおり、苗美さんの人生の決断はとても軽やかで直感的。しかし、随所に“私は私”という芯の強さがうかがえました。
直感と偶然が重なり栄養士の道へ
生まれは、長野県の美しい農村風景が広がる町。公務員として働いていた父と、手芸が得意だった母のもと、2人姉妹の長女として大切に育てられました。父の仕事柄、幼少期は転勤が多い家庭でした。
「なじむまでに時間がかかって、学校はあまり好きじゃなかったんです。デザイン画などの絵を描くのが好きだったので、よく絵を描いて過ごしていましたね」
高校生になるまでに各地に移り住みますが、栄養士への憧れはすでに小学生のころ、長野にいるときに芽生えていました。
「官舎にいたころ父の上司のお嬢さんがとても素敵なお姉さんで、その方が栄養士でした。そのときになんとなく栄養士になろうと決めて。ほかの進路はまったく考えず、東京の食物栄養専門の短大に進学しました」
そこでいまと変わらない苗美さんらしさが垣間みられるエピソードが。
「この先生ならわかってくれるかなと感じた先生に“カロリー計算って必要なのでしょうか?”というような自分の考えを書いて提出したんです。でも“それは必要です”ってあっさり返されて。いま思えば、カロリー計算は栄養士としての基礎なのでしっかり学んでおくべきだとわかるんですが、当時はなぜかこだわっていましたね(笑)」
興味のおもむくままに編集アシスタントに
その後、栄養士の資格を取得し短大を卒業しますが、就職したのは栄養士とはまったく関係のない出版社でした。
「当時は栄養士の仕事にそこまで魅力を感じなくて(笑)。それよりもデザイン画を描くのが好きだったので服飾系の雑誌社のアルバイトを受けて、アシスタントとして働くことになりました。1年くらい仕事を続けたころに同期の人と2人で1冊の本を作ることになって。子どもの編み物の本だったのですが、企画からすべて自分たちでやれて、すごく楽しかったです」
そして2年ほど経ったころ、結婚によって家庭に入ります。当時の様子を懐かしそうに、顔をほころばせながら話す苗美さんを見ていると、後悔なく目の前のことを精一杯楽しんでこられたのだろうなと感じます。それは、時代や環境に無理にあらがうのではなく、おとずれた偶然の波にさらりと乗ることができる柔軟性がそうさせるのかもしれません。そしてその柔軟性は、自分はこう在りたいという気持ちを信じて突き進む強さを持ち合わせていないと生まれないものでもあります。
有機野菜と運命の出会い
有機野菜を取り入れるようになったのも、まさにそんな苗美さんだからこそ。ちょうどのなさんを妊娠しているときに、1冊の本に出会います。
「有吉佐和子さんの『複合汚染』を読んで、農薬の怖さを知りました。妊娠中ということもあってもう何を食べていいのかわからなくなってしまって。それで、本の後ろに書いてあった有機農業研究会に電話したんです。そうしたら、当時住んでいた横浜にある有機野菜を取り扱っている『横浜 土を守る会』を紹介していただいて。当時、収穫した野菜は引き取ることになっていたので、たくさんの野菜が届いてご近所に配ることもありましたね。
援農という制度もあったので、数回ですが畑に行って農作業を手伝ったりもしました。そこで農業を続けるのは大変なことなのだということも学びました」
複合汚染は、1970年代に急速な近代化によってもたらされた環境汚染に警笛をならしたベストセラー小説。いまでこそ有機野菜などのオーガニック製品も一般に浸透していますが、当時はまだそういった商品も情報も限られていました。
「ちょうどそのころいまも続けている『大地を守る会』(有機野菜や自然食品の宅配サービス)ができたんですが、有機の食材は普通のものよりかなり割高だったからエンゲル係数がものすごく高くて。けれど、あまり躊躇はしませんでした」
そう飄々と語る苗美さんの姿に、自分の気持ちに素直にもっと気楽に直感で人生を選択してもいいのかなと背中を押されるようです。
その後、のなさんが幼稚園に入園すると仕事を再開します。後編となる第2話では、産後にどうキャリアを築いていったのか、親子でオーガニック料理教室をはじめることになった経緯などをご紹介します。