ワクワクを彩る人の履歴書

ワクワクワークは、いつからでも私らしく生きること・働くことを全力でサポートする環境が整っており、年齢や経歴問わずさまざまな方が活躍中です。
実際に料理の資格をもっていなかった方や60代70代の方でも、これまでの人生経験を活かしてセカンドキャリア、サードキャリアで生き生きと働いています。
そこで、この連載では“ワクワクワークを彩る人たちの履歴書”と題して、教室にたずさわる方たちがどんな経緯でここにたどり着いたのか、人生のストーリーをご紹介していきます。

  1. 第1話直感にしたがって軽やかに進む。ワクワクワーク創業者松波苗美さん【前編】
  2. 第2話寛大で芯のあるオーガニックな生き方。ワクワクワーク創業者松波苗美さん【後編】
  3. 第3話奉仕の心で周りをやさしく包み込む。鎌倉本校代表講師鈴木薫さん【前編】
  4. 第4話50代から食の世界の扉を開く。鎌倉本校代表講師鈴木薫さん【後編】
  5. 第5話ものごとを悲観せずに、アクティブに行動する。認定講師坂本園子さん【前編】
  6. 第6話自分を大切にすれば、いつからでも夢は持てる。認定講師坂本園子さん【後編】

第2話寛大で芯のあるオーガニックな生き方。ワクワクワーク創業者松波苗美さん【後編】

ワクワクワークにたずさわる人たちがどんな経緯でここにたどり着いたのか、人生のストーリーをのぞいていく連載。第2話は前編につづき、ワクワクワーク創業者の松波苗美さん。この後編では、産後の仕事復帰から代表である菅野のなさんと親子でオーガニック料理教室をスタートさせることになったストーリーを伺います。

子育て優先で仕事復帰

前編でご紹介したとおり、短大時代に栄養士の資格を取ったものの、出版社で編集アルバイトとしてキャリアをスタートさせた苗美さん。結婚出産により一旦家庭に入ったものの、仕事はしたいと考えていました。

「のなが幼稚園に入ったらまた働こうと決めていました。だけど、なるべく自分がそばにいて子育てしたいという気持ちもあって。雇用形態にはこだわらず、最初は働きやすい栄養士の資格を活かして、パートで横浜市の病院で働きはじめました。
その後も娘の成長にあわせて勤務形態を変えながら、暮らしていた横浜市内で働きつづけました。パン屋さんや自然食レストランなど、自分したい仕事をしていましたね」

ひじきと大豆の煮物。子育て中に作っていた料理の多くが、現在のワクワクワークで伝えている料理の元になっている。

いくらパートであっても、育児と仕事の両立は大変なもの。しかし、ハキハキと語りながらときおり少女のような天真爛漫な笑みを浮かべる苗美さんから、苦労話は出てきません。その強さやモチベーションはどこからきていたのでしょうか。

「モチベーションは……わかりません!(笑)でもずっと自立したいという想いがあって。強さは、母から代々受け継いだものかなと感じます。家系かしら」

自分で考え決断できる子へ

そういう苗美さんは娘ののなさんに対して、小さなころから事あるごとに友だちのように意見を聞いていました。それは、自立するために自分で考えて決められる子になってほしいという願いからでした。

「自分で食べていけるようになってほしいし、自分で判断できるようになってほしいとずっと思っていたので、赤ちゃんのときから“あなたはどう思うの?”とよく聞いていました。
のなはもともとはっきり自分の意見をもった子でしたから、仕事の悩みも聞いてもらっていました」

「もらってから1回しか使っていないの」という、旦那さまのお母さんから受け継いだ漆器。大切な思い出の品として残している。

その後、病院で仕事をつづけていくうえで必要になった管理栄養士の資格を取得。のなさんが大学生になって育児がひと段落してきたタイミングで、常勤で働きはじめます。そこで管理栄養士ということもあり、職場で知り合った人たちに料理教室をしてほしいと頼まれるようになります。

「あらかじめ用意してくださったものでやってみたものの、私が伝えたいのはこれじゃない!
有機野菜や調味料などもっとおいしいものはあるし、ほかにも大切なことがたくさんあるのにと。

そこで、いつものようにのなにも相談してみたら、ちょうど心理学の勉強をしていたので、彼女のやりたいことと私のやりたい料理を組み合わせて、何か面白いことができるかもしれないねとなって。
それで2人で自分たちの料理教室を開くことになりました」

将来のビジョンを話し合い、親子で料理教室をスタート

最初は知り合いだけに声をかけて単発で開催していたものの、料理だけでなくワークもやるスタイルの教室は評判をよび、徐々に手が回らなくなります。そこで2007年の6月、オーガニック料理教室「ワクワクワーク」を親子で創業します。

「どういう教室にしたいのか、2人でとことん話し合いました。将来どうありたいかというビジョンやお互いの10年後の理想の姿など、本当にたくさん。

そこで最初に決めたのは、オーガニックでシンプルなレシピということと、カロリー計算をしないということ。病院にいるときは緻密にカロリー計算をしていましたが、実際に病棟で栄養指導をしていくと、もっと小さいころから知っておいてほしいことがたくさんあると感じました。

もちろん栄養指導して変わることもありますが、若いころからの生活習慣が根づいているとなかなか難しい。カロリー計算以外の私がもっている知識や経験を伝えられるようになるのが、とてもうれしかったですね」

武蔵小杉で教室をしていた頃の一枚。生徒さんたちに囲まれて。

それから「食と心のバランス講座」や初の通信クラスとなる「滋養おやつ基礎クラス」といった、いまでも人気の講座を次々と企画。創業から8年がたった2015年からは講師養成講座がスタートし、それまで二人三脚で歩んできた教室にどんどん仲間が増えていきました。

「2人でやってきたからここまでこられたし、加わってくれたスタッフが多世代でみんな素敵な人ばかりなのでおかげさまです。
のなを引き込んでしまったのかと思うこともたまにありますが、中学生のころから地球を救いたいといっていた子なので、この道に進むことは決められていたのかもしれませんね」

そう確信をもっていえるのは、自分の選択が間違っていなかったと思えるほどブレずにつづけてきたからこそ。納得のいく道を選んだのではなく、選んだ道に納得ができるよう精いっぱい取り組んできたからではないでしょうか。

寛大で芯のあるオーガニックな生き方

よく親子で仕事をして大変じゃない? と聞かれることも多いそうですが、親子という立場に甘えることなくお互いを認め合いながら、思い描いたビジョンを軸に柔軟に歩みを進めてきた2人。それは、苗美さんが考えるオーガニックのよさにも通ずるものがあります。

「オーガニックって結局すべてに“寛大”なんですよね。“ねばならない”ということはなくて、あなたはあなたでいいし、私は私でいい。たとえば無農薬の野菜や多様性、生き方もすべて含まれるのがオーガニック。でも、決してゆるいわけではなくて、有機野菜って細胞が引きしまっていてすごく元気。そういうところが好きですね」

父のいる天国に近いところへ行こうと80歳の母と娘ののなさんと親子3世代で行った、ハワイのマウナケア。生かされていると感じた思い出深い旅。

その寛大さは、のなさんへの食育に対する姿勢でも感じることができます。幼いころからオーガニック食材を食べてきたのなさんに、何かを強制したり禁止したことはなかったのだとか。

「食育についてはとくに何もしていません。のなが高校生のときにハンバーガーチェーン店で食べたいといったときもいいんじゃない? という感じで。友だち同士の付き合いもあるでしょうしね」

情報に振り回されてつい子どもに対して過干渉になってしまうことも多い現代の子育て世代。“私は私でいい”という寛大さは、これからを生きるヒントになりそうです。

「若い世代の方たちはもっと自分を大切にして欲しいですね。人生は一度だけ。自分がやりたいことをやらなくちゃ! 結局30代のつづきが40代で、40代のつづきが50代。すべては続いていくもの。もっと楽しく生きられるよう伝えていきたいと思っています」


Profile
続きはこちら
  1. 第3話奉仕の心で周りをやさしく包み込む。鎌倉本校代表講師鈴木薫さん【前編】

ページトップ