ワクワクを彩る人の履歴書

ワクワクワークは、いつからでも私らしく生きること・働くことを全力でサポートする環境が整っており、年齢や経歴問わずさまざまな方が活躍中です。
実際に料理の資格をもっていなかった方や60代70代の方でも、これまでの人生経験を活かしてセカンドキャリア、サードキャリアで生き生きと働いています。
そこで、この連載では“ワクワクワークを彩る人たちの履歴書”と題して、教室にたずさわる方たちがどんな経緯でここにたどり着いたのか、人生のストーリーをご紹介していきます。

  1. 第1話直感にしたがって軽やかに進む。ワクワクワーク創業者松波苗美さん【前編】
  2. 第2話寛大で芯のあるオーガニックな生き方。ワクワクワーク創業者松波苗美さん【後編】
  3. 第3話奉仕の心で周りをやさしく包み込む。鎌倉本校代表講師鈴木薫さん【前編】
  4. 第4話50代から食の世界の扉を開く。鎌倉本校代表講師鈴木薫さん【後編】
  5. 第5話ものごとを悲観せずに、アクティブに行動する。認定講師坂本園子さん【前編】
  6. 第6話自分を大切にすれば、いつからでも夢は持てる。認定講師坂本園子さん【後編】
  7. 第7話迷いながらたどり着いた、自分探しの答え。認定講師大西くみさん【前編】
  8. 第8話思い込みの鎧を脱いで、自分らしく人生を楽しむ。認定講師大西くみさん【後編】

第3話奉仕の心で周りをやさしく包み込む。鎌倉本校代表講師鈴木薫さん【前編】

ワクワクワークは、いつからでも私らしく生きること・働くことを全力でサポートする環境が整っており、年齢や経歴問わずさまざまな方が活躍中です。実際に料理の資格をもっていなかった方や60代70代の方でも、これまでの人生経験を活かしてセカンドキャリア、サードキャリアで生き生きと働いています。そこで、この連載では“ワクワクワークを彩る人たちの履歴書”と題して、教室にたずさわる方たちがどんな経緯でここにたどり着いたのか、人生のストーリーをご紹介していきます。

第3話は、講師養成講座1期生で、現在はワクワクワーク鎌倉本校の代表講師をつとめる鈴木 薫さん(61歳)です。前編では、誰からも好かれる薫さんのベースとなっているものを幼少期から結婚出産期をとおして探ります。

居るだけで勇気と安心感をもたらす存在

好きなことを仕事にできたら−−。誰しも一度は思い描いたことがあるのではないでしょうか。それがいつのまにか年齢を理由に諦めてしまったり、資格がないからと言い訳をみつけて想いを閉じ込めてしまったり。でも自分の気持ちを大切に、思い切って一歩を踏み出していけばいつかはチャンスがめぐってくるのかもしれない。そう思わせてくれるのが、今回の主人公 薫さんです。

薫さんがワクワクワークで認定講師の講座を受けたのは、8年前。3人の子育てがひと段落し、小学校の放課後児童クラブで指導員をしていた50代の頃です。幼い頃からお菓子づくりが好きで、ずっと食にたずさわることをしたいという想いは抱いていたものの、もっていた資格は、教員免許と着物に関するものでした。

「わたしはこれ(着物)でいくのかなと思っていたのだけど、やっぱり料理をするのが好きだったので、頭の片隅ではどこかでチャンスを探していたのかも」

そう昔の写真をみながら語る薫さんをまとうのは、とても柔らかで温かい空気。インタビューに緊張感はつきものですが、薫さんがほほ笑むとその場にいる全員の心がすっと溶かされていく、そんな和やかな時間が流れていきます。

食への想いを秘めながら教師の道へ

幼い頃は引っ込み思案。三姉妹の真ん中で優秀な姉と妹のかげに隠れ、前に出るようなことはなかなかありませんでした。

「父が病弱だったこともあり、子どもの頃は看護師になりたいと思っていました。そのうち、好き嫌いが多い父のために栄養士になりたいと考えるようになったのですが、理数系が得意ではなくて。じゃあ調理師になろうとか、いろいろ変わっていましたね」

料理に目覚めたのは、祖母の影響。長男家系だったため、家に親戚が大勢集まる機会が多く、たくさんのご馳走を振る舞う祖母や母の背中を見て、自然と手伝いをするようになりました。

「なかでもお菓子づくりが好きで、レシピ本を見て作りたいものができるとおばあちゃんの家に行って作らせてもらって。私のやりたいことを尊重して、自由にやらせてもらえる環境がありました」

結局、“料理は趣味でできるし、調理は資格がなくてもずっとやり続けることだから”という母のアドバイスで大学の文学部に進学。国語の教員免許を取得し、卒業後は教師として働きはじめます。

「自分のやりたいことはいつもサイドにあったような気がします。母としては、安定した学校の先生になる方がいいと思ったのでしょうね。でも私自身も子どもとのやりとりはすごく楽しかったし、影響力もやりがいもあって。それまで表に出ることはしてこなかったけれど、案外向いているのかもと感じました。学校の先生になることは父も喜んでくれましたね」

しかし、教師になって1か月ほどが経った頃、父が他界。もともとあった早く自分の家庭を持ちたいという願望に加えて、守るものが欲しいという想いが強くなり、1年ほどで結婚退職します。

突如あふれた着物が似合う女性への憧れ

夫との出会いは大学時代。当時、薫さんが所属していたテニス部の合宿先で、外部のテニスコーチのマネージャーとして知り合いました。結婚後は夫のテニスクラブをサポートします。

「テニスクラブでは軽く食事をするところがあって、そこを義母がやっていたので、子どもが生まれるまでは手伝いをしていました。義母が大鍋でつくるものを横で見させてもらったりしてね」

奇しくも祖母や実母だけでなく義母も料理上手で、人に料理をふるまう姿を間近に見ていた薫さん。このまま食の世界へ進んでいくのかと思われましたが、導かれたのは着物の世界でした。

「実母がずっと着物が好きで、私がお嫁に行くときもたくさんの着物を持たせてくれたのですが、子どもが生まれたばかりのときは余裕がなく、タンスの肥やしになっていて。でも、母が体調を崩して入退院を繰り返すようになり、ふともらった着物をみていたら急に“着物が似合うおっかさんになりたい!”と思っちゃったんです(笑)」

着付け教室の仲間と京都へ1泊2日の研修旅行に

それから着付けの勉強をスタート。途中3人目の出産で中断した時期もありましたが、人に教えられるお免状を取得し、さらには礼法まで学び続けました。

「最初は着られるようになれればというくらいの気持ちでカルチャースクールで学んでいたのですが、そのうちに“これを受けたら教室が開けるようになるよ”とか“妊婦さん用の着付け方も習っておいた方が結婚式場で活かせるよ”などと聞いて、資格が取れる本格的な学校に通うようになって。母もすごく喜んでいましたね」

和やかなオーラの元にあるのは奉仕の精神

食への想いは持ち続けていたものの、3人の子どもがまだ手がかかるうちは、仕事よりも子育て優先。所属していた着物の団体ではボランティア活動が盛んだったため、定職につくのではなく、育児の合間をぬって着物をつうじた社会貢献をしていました。

「七五三の時期になると神社に行って手直しをしたり、成人式の会場に呼ばれて手伝いをしたり。教職以外に手に職がなかったけれど、私みたいな何も持っていなかった人でも誰かの役に立てるというのがうれしかったですね。本当に私にできることなんてたいしたことではないのですが、お金に関わらず自分ができることで役に立ちたいという気持ちは根底にあります」

その気持ちをいまでも持ち続けている薫さん。常に謙虚な姿勢でものごとに取り組むからこそ、相手がいくつだろうと敬う気持ちを忘れません。ワクワクワークで幅広い年齢層の人が伸び伸びと活躍できているのは、そんな薫さんがいるからかもしれません。そして、初対面でも接しやすい雰囲気を醸し出しているのは、無償の心が警戒心を解いてくれているからなのだと腑に落ちます。

そうして着物との関わりを持ちつつ、一番下の子が就学して少し手が離れるようなると、本格的に働きに出るようになります。しかしそこで選んだのは、着物でも食に関わることでもない場所でした。後編となる第4話では、薫さんのセカンドキャリアやワクワクワークとの出会いについてご紹介します。


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  1. 第4話50代から食の世界の扉を開く。鎌倉本校代表講師鈴木薫さん【後編】

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