ワクワクを彩る人の履歴書

ワクワクワークは、いつからでも私らしく生きること・働くことを全力でサポートする環境が整っており、年齢や経歴問わずさまざまな方が活躍中です。
実際に料理の資格をもっていなかった方や60代70代の方でも、これまでの人生経験を活かしてセカンドキャリア、サードキャリアで生き生きと働いています。
そこで、この連載では“ワクワクワークを彩る人たちの履歴書”と題して、教室にたずさわる方たちがどんな経緯でここにたどり着いたのか、人生のストーリーをご紹介していきます。

  1. 第1話直感にしたがって軽やかに進む。ワクワクワーク創業者松波苗美さん【前編】
  2. 第2話寛大で芯のあるオーガニックな生き方。ワクワクワーク創業者松波苗美さん【後編】
  3. 第3話奉仕の心で周りをやさしく包み込む。鎌倉本校代表講師鈴木薫さん【前編】
  4. 第4話50代から食の世界の扉を開く。鎌倉本校代表講師鈴木薫さん【後編】
  5. 第5話ものごとを悲観せずに、アクティブに行動する。認定講師坂本園子さん【前編】
  6. 第6話自分を大切にすれば、いつからでも夢は持てる。認定講師坂本園子さん【後編】

第5話ものごとを悲観せずに、アクティブに行動する。認定講師坂本園子さん【前編】

ワクワクワークは、いつからでも私らしく生きること・働くことを全力でサポートする環境が整っており、年齢や経歴問わずさまざまな方が活躍中です。実際に料理の資格をもっていなかった方や60代70代の方でも、これまでの人生経験を活かしてセカンドキャリア、サードキャリアで生き生きと働いています。そこで、この連載では“ワクワクワークを彩る人たちの履歴書”と題して、教室にたずさわる方たちがどんな経緯でここにたどり着いたのか、人生のストーリーをご紹介していきます。

第5話は、愛知県名古屋市で「食のお話アドバイザー」の認定講師「星のソムリエ(R)」 の2つの資格を活かし、夢を叶えようとしている坂本 園子さん(59歳)です。園子さんがワクワクワークの認定講師養成講座を受講したのは2021年、子宮頸がんとその手術の影響でできた腸閉塞の入院生活を終えた57歳のとき。前編では、活発だった幼少期から転期と なったできごとについてご紹介します。

突然訪れた父の死で大学進学を断念

名古屋の自宅からインタビューがおこなわれた鎌倉本校まで、ひとりで車を運転してきたという園子さん。お疲れなのではというこちらの心配をよそに、「ドライブ好きなんですよ」とはにかんだ笑顔をみせます。聞けば早朝に家を出て、鎌倉到着後にカフェでモーニングをしてから鶴岡八幡宮にお参りをして来たのだそう。そんなふうに、ひとり行動でアクティブに楽しむ性格は幼い頃からでした。

「小さいときはわりと人見知りが激しくて。初対面の人と話すのは苦手だったのですが、ひとりでどこかに行ったりする活発さはありました。小学4年生の理科の授業から天体に興味を持つようになり、そこから毎週ひとりで科学館に行って、1日中そこにいるということもよくありました」

幼い頃は庭師だった祖父の家の隣のマンション屋上でよく遊んでいた。

父に買ってもらった望遠鏡で星を眺めるのが大好きで、天文の道に進もうかと大学進学も考えていた園子さん。しかし、突然の転期がおとずれます。高校1年生のときに父ががんで他界。卒業後は地元の電力会社に就職することになります。

「9つ上の姉がいるのですが、すでに結婚して家を出ていたので、父が亡くなってからは母とふたり暮らし。本当は大学に行きたい気持ちもあったのですが、想いがぷっつり切れてしまって。父の死をきっかけに自分の中で何かが変わった気がします。もし就職がダメだったら、中学の頃から自分でお弁当を作ったりして料理が得意だったので、栄養の専門学校に行けばいいかなと思っていたら、内定をいただきました」

時代はちょうどバブル絶頂期。毎日のように残業しながらも、終わったあとは飲みに行くなど、充実した毎日を送ります。そうして7年間のOL生活を経たのちに25歳で結婚。それを機に退職し、2人の子どもの出産と育児でしばらく家庭に入ります。

子育て中も絶え間なく仕事をしつづけた3〜40代

ふたたび働きに出るようになったのは、下の子が幼稚園に入った頃。午前中に時間ができるようになると、何かできるかもしれないと持ち前のアクティブさを発揮し、近所のスーパーで働くことになります。

「じつは事務職採用で受けたのですが、オープンしたてでどうしてもお惣菜担当の人手が足りないからとお願いされてお惣菜コーナーを担当することになって。そこは計り売りのところだったので煮物を炊いたり、前日から下味をつけて唐揚げにしたり、結局7年働きました」

母が働き出した高校生のころには夕食作りもしていたので、もともと家事全般は得意。しかし、当時は食を仕事にしようとは考えていなかったため、これを機に料理の道に進んだわけではありませんでした。

「子どもが成長して手が離れ、もう少し長い時間働けるようになったので、事務職の仕事の方が続けられるかなと思って、スーパーを辞めました。その後はコールセンターやアパレル、結婚前に勤めていた電力会社など、パートや契約社員など雇用形態は問わず、いろいろな会社であいだなく働きました」

いくら手がかからなくなったとはいえ、仕事をしながら家事や育児をするのは大変なこと。そのモチベーションはどこにあったのか知りたくて訊ねてみると、拍子抜けする応えが。

「社宅だったのであまり家にいたくなかったんですよ(笑)。主人は仕事が忙しくてほとんどひとりで娘ふたりを育てていましたが、辛いとか忙しいとか思ったことはなくて。夕食の準備などやること全部やって夜は飲みに行ったりもしていましたし、楽しかったなぁ」

大好きな天文の写真にアインシュタインの言葉が綴られているお気に入りの1冊。

初めての長期入院で自分を見つめ直す

ものごとの捉え方がとてもポジティブな園子さん。周りの環境や自分に降りかかるできごとに悲観することなく、現実をありのまま受け入れ、立ち止まらずに進んでいきます。

それを象徴するできごとが、子宮頸がんによる入院生活。家の近くの会社で事務職として働いていた55歳のときに人間ドックで引っかかり、ステージIIの子宮頸がんと診断されます。

「病気がわかったときはえーってなったんですけど、神様に休みなさいっていわれたのかなとネガティブになることはありませんでした。それまで出産のときですら5日間くらいしか入院したことがなかったので、考える時間もできて。そのときにふと“わたし今まで何をしてきたのだろう、自分のしたいことがあまりできていないんじゃないか”と思ったんです」

じつは40代のときに偶然、女性第一号の「星のソムリエ(R)」が紹介されているのを見つけて、資格を取得していました。星のソムリエ(R)とは、星空案内人(R)ともいわれるとおり、おいしいワインを選んでくれるソムリエのように星や宇宙の楽しみ方を教えてくれる人。科学館や学校、地域のボランティアとして活躍されている方もいます。

地元・愛知県内の図書館で講師として小学生向けに星座のワークショップをおこなったことも。

「資格をとったあとは、岐阜県のハートピア安八という天文台プラネタリウムがある生涯学習センターにボランティア登録して、講座のお手伝いをすることもあったのですが、しばらくは離れていて。もちろん家族のためには一生懸命してきたし、飲みに行くなど自分なりに楽しんではきたのですが、好きだった星のことから遠ざかっていたなぁと」

退院するとすぐに金環日食を見にドバイまで出かけるという持ち前の行動力を発揮。最近では、愛知県高浜市にある「かわら図書館」で小学生向けに星座早見盤を作って星座を見つけるワークショップをおこなうなど、活躍の場を広げています。

そして入院中にもうひとつ、やりたいことを見つけます。それが、食の大切さを伝えるためにワクワクワークで学ぶことでした。きっかけとなったのは、母の介護。後編となる第6話では、なぜほかの料理教室ではなくワクワクワークを選んだのか、50代になって見つけた還暦で叶えたい夢などについて伺いました。


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  1. 第6話自分を大切にすれば、いつからでも夢は持てる。認定講師坂本園子さん【後編】

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